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代々木忠プロフィール

相手への気づかいもエゴである

 小さな子供はお母さんと話をしていても、友達が通りかかったら話も尻切れとんぼのまま、すぐそこに行ってしまう。ところが、大人は相手に気をつかうから、そんなことをしない。

 

 相手に気をつかうことも人間関係のうえでは必要なのだが、それはおもに制度の世界において必要なのであって、本音の世界の恋愛関係や夫婦関係、とくにSEXにおいては、こうすることが相手のためだという思いも、実は愛の押し売りである場合がきわめて多い。

 

 たとえば、あなたは(オレは他の女からデートを誘われても、きっぱり断わった。おまえに悪いと思って断わったのに、今回のおまえのあの態度はなんだ)と思ったことはないだろうか。そんな思いがたまってくると、(ここまで我慢したんだから、もう許せない)というエクスキューズを、あなたは自分の中で作ってしまうことになる。

 

 でも、あなたの気づかいのひとつひとつを、果たして彼女は本当に望んでいたのだろうか。

 

 あなたが思いやりだと思って疑わなかったことも、実は相手にどんどん貸しを作っていただけではないのだろうか。そしてその貸しに見合う代償を、あなたは勝手に見積もり、当然のこととして相手に求めてはいなかっただろうか。さらには、その思いやりの代償が得られないことをすべて相手のせいにして腹を立てていたのではなかっただろうか。

 

 結局これらはみな、自分のエゴに栄養を与えているにすぎないのである。

 

 SEXを100パーセント楽しめない原因として、男も女も相手に気をつかっている場合が少なくない。しかも気をつかうことがいいことだと思っている。しかし、それは本当の思いやりなどではない。相手のためだと思ってしている行為では、相手に与える快感の度合もたいして期待できない。

 

 たとえば、一番気持ちいいフェラチオは彼女がしたいと思ってしてくれるフェラチオだと書いた。そのとき彼女はあなたのオチンチンをしゃぶることがうれしくて楽しいはずだ。だからあなたも、乳首やクリトリスをなめれば彼女が感じるんじゃないかと思ってなめるのではなく、乳首やクリトリスをなめることがなによりも好きだと思ってなめるべきなのである。

 

 究極的にSEXは、自分がその瞬間瞬間を楽しむしかない。相手のために何かをしてあげようとするのではなく、まずは自分が楽しみ、それによって気持ちよくなろうとするのだ。当然、そのときには明日の会議のことなどが頭にちらついていてはダメである。

 

 今を大切にしない人間は、今を取り逃がしてしまうが、SEXにおいてもそれが極意と言えるだろう。

 

 日本人は努力が好きな国民である。小さいころから努力が善だと教え込まれているから、SEXにおいても努力をしたがる。

 

 イソップ物語の「アリとキリギリス」の話は、みなさんもよくご存じのことだろう。あの有名な寓話において、来るべき冬に備えてせっせと働くアリは見習うべき存在であり、冬の訪れとともに死んでしまうキリギリスは忌むべき存在であった。

 

 しかし、少なくともSEXにおいては、キリギリスが正しいのだ。未来のために現在を犠牲にしているかぎり、オーガズムは体験できない。

 

 しょせん人間はみんなキリギリスなのだ。1年後も10年後も、ただのキリギリスなのである。

 

『プラトニック・アニマル』より


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