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報われない恋


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 貧乏学生だった私はいろんなアルバイトを経験しました。その中で、一番長く続いたのは深夜のファミレスのウェイトレスでした。そこで知り合った彼女の話です。
 繁華街に近いその店は、深夜12時を過ぎる頃から、飲食店を退けたお客様が来店されはじめます。誰がどんなお店で働いているとか推測できるほどの経験値はなかったけれど、甘い香水やアルコールの匂い、きれいに盛られた髪や細めのスーツに夜の大人の世界の空気を感じることはできました。

 その中に彼女はいました。背が高く、黒いストレートの髪は肩までの長さ、常に黒いハイネックのカットソーに黒いスーツ。長い指にきれいに手入れされた桜貝のような爪で華奢なタバコをふかしていました。薄く化粧していても、もともと端正な顔立ちなのはわかります。

 彼女は男性でした。女装していなくても、女性的な大人の男性を見るのは初めてだった私は、最初は恐る恐る接客していました。たいていは一人で来店し、オーダーもコーヒーやスープといった軽いもので、小一時間ほどで帰ってしまうお客様でした。
 彼女は私が接客していても、彼女を意識している私とは対照的に、意に介さない様子で私の方を見ずにタバコを燻らせるだけでした。しかし、同じシフトでコンビを組んでいた2つ年上の鈴木さんとは、二言三言ことばを交わしていました。

 鈴木さんの人柄を一言で表すと、とてもいいお兄さんでした。いつもニコニコしていて、たとえ酔っ払ったお客様が絡んできても、柳のように飄々といなす、不思議な人でした。人の話を聞くのが上手く、私をはじめみんなが頼りにしていました。

 そんな鈴木さんがいない日、彼女が若い男性を3人連れてやってきた時のことです。
 珍しいなと思いながら私はテーブルに向かいました。連れは明らかに酔っ払ってテンションが高くなっています。接客している私の名札や前髪を触ったり、からかい始めました。私は顔が熱くなり、少し涙目になってしまいました。まだ世慣れていない私は、どうしていいかわからず、とにかくオーダーを取ると、逃げるようにテーブルを離れました。
 しばらくすると、フロアから声が聞こえてきました。
 「ごめんなさい、やっぱり帰る! お勘定お願いします」
 レジに立つと彼女が若い連れを伴って帰るところでした。
 「もっと飲みたくなったから」と若い連れを外に出してオーダーした分の会計を待っています。
 「キャンセルなので、お会計は結構です」
 まだ動悸の治まらない私が言うと彼女は低くささやくように
 「ごめんなさい、変なの連れて来て・・・・。怖い思いさせたわね、ほんとにごめんなさいね」と申し訳なさそうに眉をひそめてあやまってくれました。

 私は意外に思いました。レジに立ちながら、若い女の子にちょっかいを出す連れが不愉快だから店を出るのかと思っていました。それに彼女の外見から鈴木さんに比べて私にそっけないのは、彼女が女の子を嫌いだからと単純に思っていました。しかしそうではありませんでした。ただ単に私に興味が無いだけで、女の子を嫌っている訳ではなかったのです。
 彼女は絡まれて困っている女の子を助けるために、さり気なく「もっと飲みたいから」と店を出てくれた――酔っぱらいの連れに注意して場をしらけさせるでも無く、自分がワガママを言い出したように私を助けてくれた、とっさの機転とそれをさらりとやってのける姿に、彼女は気配りのできる大人の女性なのだと思いました。私は動悸が治まらないまま、頭が微熱でしびれたようにぼんやりと、彼女の後ろ姿を見送っていました。

 このことがあってから、私も彼女とお話しするようになりました。
 寒いですね、とか他愛もない会話です。この間まで、彼女の世界では背景の一部でしかなかった私が、端役でも登場人物になれたような気がして少しうれしくなりました。
 そうして、彼女を見ていて、私はやっと気づきました。
 彼女はタバコを燻らせながら、何気なく鈴木さんをずっと目で追っていたのです。鈴木さんとの会話のあと、少しはにかんだ笑顔、あ、鈴木さんが好きなんだな、と。
 鈴木さんには同い年の彼女がいました。それでなくても、この恋は絶望的かなと思われます。それでも、どうにかしたいというふうでもなく、深夜のファミレスに通う彼女が、いじらしく思われました。できるだけ、鈴木さんに彼女と接してもらいたくて、私なりに何気なく気を使いはじめました。
 鈴木さんがインフルエンザで長くお休みだった時、彼女にそっと言いました。
 「鈴木さんはインフルで一週間お休みです。・・・・たぶん次回は来週の木曜です」
 言ったあとで、余計なことをと思いました。もしかしたら、彼女に「だから何?」と返されるかもしれません。
 彼女は目を大きく開けて少し驚いたような顔をしました。そして次の瞬間、笑顔で言いました。
 「子どものくせに、気が利くのね。じゃ、来週来るわ」
 私は彼女の笑顔にドキリとしました。こんな顔して笑うんだ・・・・。邪気のない、素の彼女の笑顔でした。とてもきれいでした。
 
 鈴木さんが復帰すると、彼女は栄養ドリンクとケーキの差し入れをもって来店しました。
 「お客さんからもらったけど、甘いもの食べられないし、これと一緒にもらってくれる?」
 もらったのがバレたら店長に怒られるかなとも思いました。しかし深夜は不在ですし、明らかに鈴木さんへのお見舞いです。私はありがたく受け取って、鈴木さんにみんなを代表してお礼を言うようにお願いしました。何も知らない鈴木さんは急いで彼女のところへお礼を言いに行きました。そっと見ていた私は、少し照れくさそうな彼女に何故だか、うれしいような切ないような気持ちになりました。

 春が近づき、鈴木さんが就職のためバイトをやめる月となりました。私は彼女に最後の日を伝えました。彼女は寂しそうに笑い、「ありがとう」と一言いいました。
 最後の日も、彼女はいつものように軽めのオーダーで、せわしなく働く鈴木さんを見ていました。
 私は奥のほうで作業をしながら、一人でやきもきしていました。
 やはり、彼女は鈴木さんに何か伝えるのかしら?  プレゼントを渡したりするのなら、会計も鈴木さんに任せようと・・・・。
 レジでは鈴木さんから彼女に、今日で最後です、と挨拶しているようでした。
 少し会話があって、いつものように彼女は帰って行きました。鈴木さんを見ましたが、特に変わった様子もありません。彼女は最後の日も何気なく、常連客の一人として終わらせてしまったようでした。子どもだった私は、初めて密かな片思いを静かに終わらせる大人の恋を見せられました。切なくて、鈴木さんに本当のことを言いたい衝動にかられました。が、それを絶対彼女が望んでいないこともわかっていましたし、彼女を裏切る行為だと思って結局言えませんでした。

 次に来店したとき、ポツポツ話してくれました。最初は酔っ払いに絡まれた鈴木さんがどうにかなだめて帰したあと、嫌な顔一つせずにその酔っ払いを見送っていたこと、そのあとで笑顔で今日は寒いですねと声をかけてくれたこと・・・・疲れていた彼女はとても癒されたこと・・・・。「最後まで言わないでいてくれてありがとう」と言われました。
 私は自分の恋でもないのに思わず泣いてしまいました。理由はわかりません。
 そんな私を見て、彼女はびっくりしていましたが、
 「私が泣かせたみたいじゃない、泣きたいのは私なのに」と笑っていました。やはり彼女の笑顔は素敵でした。
 私はその笑顔に女性としての品格というか、格の違いを感じました。気持ちを押し付けることしか知らなかった私は、密かに想いを抱き続けるだけという静かな心の強さに、理想の大人の女性像を見た気がしました。
 
 それから頻度は減ったものの、彼女はときどき深夜にやって来ました。
 私もバイトをやめることになり、たまたま来ていた彼女へ伝えました。
 「寂しくなるわね」彼女に言われて、私は少し胸に小石が詰まったような不思議な気持ちになりました。

 最後のバイトの日を前に、彼女はお店に来ました。そうして会計の時、小さな紙袋をくれました。
 「もう少し大人になったら、これをつけて遊びに来なさい」
 中には、彼女が時折つけている香水の小さなびんとお店の名刺が入ってました。私はうれしくて、そして悲しくて涙があふれてしまいました。初めて涙の理由がわかりました。
 「すぐ泣く。嫌ねぇ」彼女は笑っていました。
 「じゃあ、がんばってね」彼女が退店すると、私はもう一人のバイトの人に声をかけ、すぐに彼女を追って店の外に飛び出しました。
 彼女は店の前の交差点で信号待ちしています。
 「あのっ・・・・」
 追いかけてきた私をびっくりした顔で見ている彼女に近づいて行きました。
 「あの、すいません。最後にキスしてもらえませんか?」
 自分で何を言ってるのかわかりません。それでも追いかけてでも言いたかったことばでした。
 絶望的な恋をしていたのは彼女だけではなかったのです。彼女の細い指、時々で見せてくれたいろんな笑顔。気配りができ、控えめでいて、強い心を持つ大人の女性・・・・。いつかそうなりたい、彼女への憧れはいつの間にか私にも、決して報われない思いを抱かせていました。しかし子どもだった私は、まだ密かに終わらせることはできませんでした。
 彼女はさらに驚いた様子でしたが、少し周りを見渡すとぐっと抱き寄せてキスしてくれました。やわらかいくちびるの感触に頭が痺れてきます。彼女の香りにつつまれて、それでも届かない思いに切なくなりました。
 そっとくちびるを離すと、彼女はやはり笑いながら言いました。
 「やっぱり吐きそうだわ。女とキスするなんて!」
 私もおかしくって悲しくって笑ってしまいました。そうして彼女は私のおでこに軽くキスして帰って行きました。

 私が彼女のお店に行くことはありませんでした。
 今でも私は彼女からもらった香水をつけられるほどの大人になれたのかわかりません。それでも同じ香水やボディパウダーを使っていると彼女を思い出して、しゃんとしない朝でも気合が入ります。
 とても素敵な片思いでした。
 



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