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女性に読んでほしいコラム


第86章 ピッチャーゴロでランニングホームラン

 「ザ・面接VOL.159」の話である。面接1番手の麻衣美(22歳、学生)が卓と一戦交えたあと、本来3番手担当のウルフとキスをしながら、いい感じになっている。「田中さんっていうんだよ」と僕が言うと、麻衣美はウルフに「下の名前は?」と訊く。ウルフは「ヒロユキです」と答える。面接軍団からは「本名だよ!」「本名言ったー!」とざわめきが起きる。

 カメラが回っている前で男優が本名を晒(さら)すということ。芸名ではなくあえて本名のほうを答えたウルフの気持ちは、きっと麻衣美にも伝わったはずである。お互いが本当にしたい相手としているようなセックスが幕をあけていく……。

 ただし、今回の話の主役はこの麻衣美ではなく、3番手にやってくるあかり(36歳、OL)という女性だ。撮影からさかのぼること2週間ほど前、事前の監督面接で会ったあかりは、「感動する映画を見て泣いたことならあるけれど、悲しかったり悔しかったりして泣いたことは一度もない」と言った。セックスの悦びを体験するには程遠い生き方である。

 感情を露(あら)わにするなんてはしたないと幼い頃から母親に躾(しつ)けられてきたようだ。目合(まぐわい)の意義やその重要性について話し、「今回の撮影では閉じ込めてきた感情を出すこと――それが君のテーマだよ」と告げると、「私もそれに挑戦したい、よろしくお願いします」と彼女は言った。

 撮影当日、面接会場にあかりが入ってきてソファに腰かけると、担当面接官の銀次とウルフが両隣に座り、市原が質問を始める。いくつかの質問のあと、「ビデオは何本かやったんですか?」と訊かれて、あかりは「2本ですね」と即答する。事前面接のときはゼロだったから、この2週間で撮ったということだろう。出演してみた感想を問われると、「お姫様みた~いって思いました」と言う。

 彼女曰く、現場ではコップを握る形にして手を上げれば、黙っていても飲み物が来たらしい。終始みんなにチヤホヤされて、お姫様気分を味わったというのだ。2週間前の僕との話をあかりは今も覚えているだろうか……そんな懸念が首をもたげる。

 「きょうはどんなことがしたい?」と質問されたあかりが、なかなか答えられないでいる。「何かあるでしょ? あるから来たんちゃうの?」と市原。考えあぐねた末にあかりは「この2人とするんですよね? 私、ホントはあっちの人のほうがよかった」と玉木を見る。「でも、まぁ、最初はこっちから……」と市原も少々あきれながら諭す。あかりは「シミとか、シワとか、メタボとかが出てきたら、やなんですよ」などと勝手なことを言っている。

 彼女は「こういう感じでセックス始めたことないからわかんないですよ」と笑いながら言うと、銀次とウルフの肩に手をまわし、「しまっていこう!」とおどけてふたりの肩を叩く。しばしの静寂のあと、「セックスやる気あんのか、おまえは! なんや思ってんねん、いったい現場を! 真面目にやれっ!!」。ついに市原がキレた。

 重苦しい沈黙が会場を飲み込む。あかりはムクれている。すると銀次が彼女を抱き寄せて「なんも考えなくていいや」とやさしくささやく。僕はあかりに言った。「本当の自分、出せよ。本当は恥ずかしいんだろ?」。ひとつ頷いてからあかりが口を開く。「恥ずかしくて緊張してるのを――」。「カバーしたんだろ?」先回りして尋ねると「そう」と認める。「やめろ」「うん……」。「銀次さんつーんだよ、目見ろ、その男の」。あかりが目を見る。「抱きつけ、甘えろ。おまえ甘えたことないだろ、人生で男に。子どもになって甘えてみなよ、一回ぐらい」。

 身をゆだねてきたあかりを銀次がしっかり抱きしめる。やがてキスをし、裸になって抱き合い、愛撫へと入ってゆく。銀次は目を見ながら相手の心を開いていくのが上手い。「ザ・面接」に限らず僕の作品の中で、心を閉ざした女の子と銀次がつながっていったケースはたくさんある。だから、よく見てくれている人なら、ここまで来ればいつもの必勝パターンかと思うかもしれない。

 ところがである。あかりはいっこうにノッてこない。クンニされている彼女に僕が「舐められてどんな感じなんだよ。気持ちいい?」と訊けば、「心が今、防御態勢に入ってる」なんて言う。そうこうしているうちに、エキストラのひとりが銀次の後ろにやってきて、彼にちょっかいを出し始める。そして、あかりの目の前でふたりの濃厚なセックスが展開してゆく……。

 その間、もうひとりの担当面接官であるウルフが、取り残されたあかりのケアをしている。といっても、黙って一緒にいるだけだ。「感動する映画以外では泣いたことがない」と言っていたあかりの目からは大粒の涙がしたたり落ちている。そして涙ながらにウルフに訴える。

 「だって、これ仕事でしょ? 仕事っていうのはさ~、自分を殺してさ~、まわりのニーズに応えてさ~、それで賃金をもらうものなんじゃないの? そう考えたらさ~、我(が)なんて出せないし、やりたいことなんて言えない。相手のニーズに応えるしかできない。自分が選べないっ!」。ウルフは黙って聞いている。

 片や、横では銀次とエキストラの目合(まぐわい)が繰り広げられている。それがフィニッシュしたとき、編集ではカットしたものの、僕は市原にこう言った。「隊長、もうこのへんで終わりにしよっか」。すると彼は「彼女、何かやるのちゃうの?」。彼女とは、もちろんあかりのことだ。市原にしてみれば、自分が怒鳴ってこのまま彼女がボツになったらマズいという思いがあっただろう。しかし僕は「いや、もうできないでしょう。今さらこういうノリになって」とカメラをあかりに振り、「無理にしなくていいんだよ、ホントに」と言った。実際そう思っていたのだ。

 ここで、いったんウルフの側に立ってみよう。銀次がエキストラと始めてしまったので、あかりのもとへ行くのは彼しかいなかったわけだが、麻衣美との相思相愛的なセックスとは真逆で、めいっぱい気が重かったはずである。なのに、あかりは「だって、これ仕事でしょ?」だなんて言っている。なんとかしようとウルフもいろいろ考えたはずだ。でも、いかんせん為す術がない。たとえるなら、最悪の状態でバッターボックスに入り、打つには打ったがボテボテのピッチャーゴロ。今まさにピッチャーが捕球して、試合は終わろうとしている。

 そのときだった。「じゃー、正直に言うと、セックスで慰めてほしい」。あかりがそう言ったのだ。僕は「セックスで慰めてほしい? 誰に?」。あかねの手がウルフを探す……。ここで会場から拍手が起きた。それは彼女への拍手であると同時に、ウルフへのものでもあっただろう。ゴロを捕球したピッチャーが一塁に悪送球し、カバーに入ったキャッチャーが二塁に投げたら捕り損ねて、ボールはてんてんと外野まで転がっているかのようだ。だから、みんなはウルフに「行けー!」「走れー!」と。

 銀次が抱き寄せたとき、「その男に甘えろ!」と僕は言った。でも、あかりはまだ素直になり切れていなかった。それが今は自分から言ったのだ。これはウルフだからこそ彼女は言えたのかもしれないとふと思う。ほかの先輩男優たちは、みんなそれなりの引き出しを持っている。もちろんウルフも持っているだろうが、彼は引き出しを使おうとしない。みんななら言葉で慰めていったはずだが、ウルフはそれもしなかった。言葉を重ねれば重ねるほど、あかりの心は開かなかっただろうなぁと思うのである。

 いずれにしても、ウルフはもう走るしかない。追い込まれたすえ、自分の思惑を超えたところで事は進んでいる。ここまで来たら、全力で走る以外にいったい何ができると言えるだろう。

 社会に出てからずっと通用してきた価値観がことごとく裏目に出たあかり。2本出たビデオの現場だって、それはちゃんと通用したというのに……。いきなり怒鳴られ、挙句の果てには撮影打ち切りまで宣告されてしまった。もう何が何だかわからない……おそらくそんな気分だっただろう。

 僕らが生きているこの世の中は「二元性の世界」だとよく言われる。たとえば、上と下、右と左、表と裏、善と悪、主体と客体、……あげれば、それこそ切りがない。たとえば上だけとか、右だけとか、一方だけで存在することはあり得ない。あくまでも相対的なのである。そして2つあるからこそ、どちらにすべきか「迷う世界」でもある。僕たちは1日のうちにも、○○をするのか・しないのかを考え、そのつど判断して、つまりどちらかを選んで生きている。選ぶとは、もう一方を捨てるということでもある。

 しかし、選んだものが自分にとって必ず好ましい結果を生むとは限らないから、後悔もするし、不安にもなるし、次の選択でまた迷う。いや、そもそも一方を選んだ根拠とは何だったのか? それはまったく混じり気のない純粋に自分だけの意思だったのか? あかりが母親から躾けられたように、誰かの思惑や何かの制約を受けたりはしていないだろうか。

 話を「VOL.159」の撮影現場に戻すと、とことん追い詰められたあかりとウルフは、結果として、前述した「相対性」や「制約性」から自由になった。なぜならば、ウルフは無心で走るしかなかったし、あかりも目の前の男に甘えるしか、選択肢は残されていなかったのだから……。こうしてふたりは溶け合って、ひとつになった。「無為の為」が起きたのである。

 終わったあと、カメラに向かってあかりは、まるで別人となった顔でこう言う。「こんなセックス、初めてです」。主体も客体もなくなった「一元性の世界」を禅では「悟り」と呼ぶ。それは頭で理解できるものではなく、体験を通してしか感じ取れない世界なのだということを、久しぶりに見せつけられた思いだった。