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女性に読んでほしいコラム


第83章 セックスの明暗を分けるもの

 「ザ・面接 VOL.157」の現場の話である。面接にやってきたのは、長身で聡明そうな美人(28歳)。英語はネイティブ級とあって、外資系企業の部長秘書をしている。だれもが知る高学歴な大学を卒業。初体験は23歳、体験人数6人(そのほとんどが外国人)。そんな彼女がなぜビデオに出るのかといえば、寝盗られ願望のあるセフレ(外国人)に勧められたからだと言う。人は見かけによらない。

 彼女が男優にヤラれるのを見て、セフレは欲情し、彼女もまた興奮するのだろう。ビデオでしてみたいことを訊かれると「3P」と答えた。オナニーは小学校4年から毎日(朝晩2回)してると言うし、じつは性に対してタブーを感じないくらい彼女は開放的なのだ。

 ところが、そのセックスは主体性に欠けた。喘ぎ声も一本調子で機械的である。絡んでいる森くんにも、ちょっと困った表情が浮かぶ。心が伝わってこないのだ。そこで能動的になれるよう騎乗位にさせると、思考オクターヴ系特有と言うべきか、森くんのタマをいじって猥褻感を得ようとしている。

 「タマタマさわらないで好きになれ!『好きー』って言え!」と僕が声をかけると、「好き! 好き! 好きー!」と連呼して彼女はイッた。落ち着いたところで、「セックスのとき、あんまり『好き』って言わないんだ?」と訊くと、「言うと怒られました」と妙なことを言う。「好き」と言われて、なぜ誰が怒るのか……。

 彼女が語ったのはこんな内容だ。今つきあっているセフレに「好き」と言うと、「おまえは、ただセックスがしたいだけだ!」と言葉責めを受けてきた。だから、好きっていう感情を飲み込んだまま、セックスをしてきたのだと。もしも彼女が感情オクターヴ系だったら、「セックスがしたいだけだ!」と言われたとき、怒るか、泣くかしていただろうし、どっちにしても別れただろう。いや、それ以前にそういう男を選ばなかったに違いない。

 一方、対照的だったのは、このあとセックスを繰り広げることになるエキストラのひとりである。表情豊かなこの子(22歳)は以前メイドカフェに勤めていたが、今はビデオの仕事しかしてないと言う。高校中退。初体験17歳、体験人数4人。彼女は能動的だった。言葉が多様で、喘ぎ声にも感情がこもっている。

 僕は彼女のセックスをファインダー越しに見ながら、虚実皮膜の間をうまく泳いでるなぁと思った。もう何本もビデオをやってるから、見せ場を作りたいという思いがあるのだろう。彼女の動きには無駄がない。たとえば男優が体位を変えるとき、ふつう女の子はただ待っているだけだ。だが、彼女はつねに男の体のどこかに触れている。また、顔面騎乗をしていて、次に男のアナルへ指入れする際も流れるような動きだった。

 これらの動きも見せ場を意識してるとしたら、それは演技とも言える。けれども、その演技に彼女自身がハマった場合、どこまでが演技でどこからが本気なのか、もう見分けがつかない。おそらく本人でさえ境界線は引けないだろう。「私のこと好き?」「ちゃんと名前を呼んで!」「私も好きだよ!」。ウルフの目を見ながら何度も愛情確認をする彼女。それに応えるウルフ。相反するはずの演技と本気は相乗効果をもたらし、面接軍団も絶賛するほどのセックスを繰り広げたのだった。

 さて、対照的な2人の女性は、いったいどこが違ったのだろう? 先の部長秘書は、セフレに見せるためにやってきた。つまり、彼女にとって今回のセックスはセフレに見せてお互い興奮するための手段である。一方、エキストラの子は、ただセックスを楽しみ、目の前の男と向き合った。そこがいちばん大きかったと思う。

 余談だが、多摩美術大学教授で禅僧でもある枡野俊明は自著『人生を整える禅的考え方』(大和書房)の中で、「只管打坐(しかんたざ)」と「悟り」についてこう書いている。「ただ、ひたすら、すわる。何かを得るためにすわるのでもなければ、何者かになるためすわるのでもないのです。すわることそれ自体に一心に打ち込む、全身全霊を傾ける。(中略)悟りの境地に至るのは、あくまでその結果であって、そこが目的でもゴールでもないのです」

 すべてを撮り終え、エキストラとウルフのセックスを見ていた部長秘書にきょうの感想を訊いてみた。すると彼女は「初恋を思い出しました」と言う。どんな初恋だったのかは聞いてないけれど、名門校への受験勉強や一流企業への就活などを始めるずっと前、好きな男の子に胸を焦がした、そのころの感覚がよみがえったのだろうと僕は思った。そして、それを大事にしつつ、心がつながれる相手と巡り会えればいいなぁと。