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第53章 平成生まれのセックス観2

 事前の監督面接で催淫CDを聴かせたところ、彼女の反応は悪くなかった。「お願い、入れて!」という言葉が出てきて、軽くイッてもいるようだ。反応がイマイチの子だったら、セックスについてレクチャーすることもあるけれど、彼女には必要ないだろうと思った。

 

 ただ、プロデューサーの資料には、これまでの体験人数が130~140人とある。25歳にしては多い。そして、恋人はなかなかできないらしい。「セックスのとき、目を見てしてる?」と訊いたら「えっ、目を見るの!?」と言うので、性体験が多いのに恋人ができない現状に絡めて、目合(まぐわい)の重要性を話した。

 

 事前面接も終わって、「じゃあ、現場で」と立ち上がると、「監督、しないの?」と意外そうに言う。面白いことを言う子だなと思った。彼女は「歯ブラシもちゃんと持ってきてるし」とバッグから出して見せてくれた。

 

 催淫CDを聴き終えて「もう我慢できない!」と抱きついてくる子ならいる。さんざん欲情させるだけさせておいて、わざと満たさないままCDが終わってしまうからだ。だが、歯ブラシを持っていこうと彼女が思ったのは、そのずっと前。催淫CDを聴いたからではない。

 

 その後、出演した「ザ・面接」でもこんな場面があった。面接官2人に挟まれて、彼女は市原の質問に答えている。敏感指数を訊かれれば「ふつうの人が100だとしたら、私は120かなぁ」とか……。ひとしきり話が終わって「とりあえずやってみようや! 声うるさい?」と訊く市原に対して、「やってみる?」と彼女。

 

 事前面接から感じていたことだが、彼女はほとんどタメ口である。僕に対しても、市原に対しても。だからといって、とくべつ不快というわけでもない。なぜだろう。話し方も内容も軽いがゆえに、そこに賢(さか)しらな何かを感じないからだろうか。

 

 軽いといえば、このコラムの第48章に書いた平成生まれの子も、「友達同士でふつうにセックスする」と言っていた。今回の彼女もまたセックスに重い意味づけはなく、ほんの挨拶代わりというか、彼女にとっては握手みたいなものかなと思える。もっとも、社交辞令的なものから自分の気持ちを込めるものまで、握手にもいろいろあるけれど……。僕は「ようこそ催淫(アブナイ)世界へ」で引きつづき彼女を撮ってみることにした。

 

 千葉の別荘兼スタジオに1泊2日で出かけた。さっそく事前面接のときの「監督、しないの?」について訊いてみる。「なんでオレとしようと思ったの?」。すると彼女はこんなふうに答えた。「最初にプロデューサー面接があって、さらに監督が面接するってことは、セックスして私の感度を確かめたいんだろうなと思ったから」。

 

 それはちょっと先走りじゃないの……と思わないでもないが、話していると彼女の考え方が合理的で、頭の回転も速いのが伝わってくる。そこへ持ってきてタメ口というのは、やはり僕ら大人をどこかで見下しているのだろうかとそのときは思った。

 

 ところが、僕が話した目合の話を彼女はちゃんと受けとめていたようだ。実際「ザ・面接」の現場で、セックスを終えた直後の彼女に僕は感想を求めている。以下はそのやりとりである。「どうしたの?」「初めての感覚です」「だって今までいっぱいしたんだろ?」「今まではただやるだけでした」「今回は違った?」「ちょっと好きになりそうです」。彼女は目合を体験したのである。そして今見返してみれば、ここではタメ口になっていないことに気づく。

 

 千葉のロケでは、そのタメ口についても訊いてみた。すると彼女は「リスクは覚悟してます」と言う。直そうとしてもクセで出ちゃうんですよ――というわけではなさそうだ。なぜそうするのかまではわかないけれど、彼女としては意識してタメ口を使い、結果「生意気だ」とか「礼儀を知らない」とか言われたとしても、あたふたはしないということだろう。

 

 体験人数の多さに関しても訊いた。ちなみにプロデューサー資料では130~140人だが、「ザ・面接」では80人と答えている。本当はいったい何人なのか? 「150人かな……よく覚えていない」そうである。ナンパされて……という成り行きが多いらしい。

 

 これだけの人数だし、ナンパされたら誰でもOKしちゃうのかと思いきや、まず食事からという相手とはセックスしないという。つまり「食事→ホテル」という段取りなんか踏まずに、やりたいなら最初から「やりたい」と言い、ホテルに直行する男とだけやるというわけである。

 

 昭和の人間からすると、事を運ぶための手順は必要だろうとついつい考えてしまう。いきなりホテルに誘ったりしたら、「私そんな女じゃないわよ!」と言われるんじゃないかと。

 

 しかし、彼女は合理的に考える。いや、単に合理的なだけではなく、「かくあるべき」という社会性に縛られていない。タメ口で話すのも、上下を重んずるピラミッド型の力学の中に、彼女がいないからだろう。社会のモノサシで判断したり、社会が敷いたレールに乗っかることなく、自分のしたいことを優先する。ともすれば軽く見られがちだし、リスクも確かに大きいだろう。だが、彼女は失敗も含めてその体験を自らの血肉としてゆく。だから、自分の行動に後悔はしていない。

 

 近ごろは彼女のような子が増えてきた。たとえば、一夫一婦制は現実的にはもはや機能していないにもかかわらず、今すぐそれが変わるかといえば、おそらく変わらないだろう。けれども、彼女のような子たちが30代40代になり、主導的立場に立ったとき、きっと世の中は大きく変わっていくはずである。そんな平成の世を僕は見てみたいと思う。