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第48章 平成生まれのセックス観

 毎回「ようこそ催淫(アブナイ)世界へ」は千葉の別荘で撮影している。スタッフや男優が来るのは2日目からで、最初の日は女の子と僕しかいない。なぜ2人きりになるのかというと、その子を開かせるためである。

 

 僕の撮り方は「仕掛けて待つ」というものだ。男優とのセックスが始まってしまえば、目の前で起きていることをそのままカメラに記録するしかない。思ってもみないことが起きたりするが、それはそれでいいし、逆にそこが面白かったりもする。

 

 いずれにしてもいい画が撮れるかどうかは、「仕掛けて」のほうにかかっている。女の子を開かせるのも「仕掛けて」のうちなのだ。開かせるとは、心の窓をあけておいてもらうということである。

 

 では、どうやってそういうモードに持っていくのか? 基本的には対話になるが、そのとき重要なのは、女の子から「この人、ただのスケベなオッサンだわ」とか「監督というより変態ね」と思われることを恐れないということである。監督と女優ではなく、お互い肩書きのない男と女になる。

 

 最初は広く浅く彼女の話を聞いているが、「ここだな」と思ったポイントはそこを掘り下げて訊いていく。それはたとえば彼女にとってのタブーの部分である。タブーを解きほぐしておかないと、人間なかなか開けるものではない。

 

 まわりの友人とか元カレとかを非難して、自己の正当性を主張する子がいたとする。客観的に聞いていると「問題はまわりの人間じゃなくて、君のほうだろう」と思ったとしよう。でも、それをそのまま口にしたところで、彼女は開くどころか閉じてしまうに違いない。そこで僕は、なぜ彼女がそう考えるようになってしまったのか、その背景を対話を通して探ってゆく。

 

 当然、その過程においては僕自身もさらけ出すことになる。そうして女の子が開いたとき、彼女と僕の心はつながっている。そればかりか、話しているテーマは主に性のことなのでお互いに欲情もしてくる。「ヤバイなぁ、オレ、やっちゃうかもしれないなぁ」という瀬戸際まで行くのである。

 

 そしてその状態のまま、明くる日、男優が来るのを待つ。女の子を焦らし、僕自身を焦らしたまま……。「なんで抱いてくれないの?」とか、「監督、ドSだよね!」とか言われるけれど、ここでやってしまうとせっかく煽った彼女の欲情はいったん解消されてしまうし、僕のカメラもきっと迫り方が鈍化するだろう。

 

 ところがである。平成生まれのある女の子は、これまで出演した熟女たちとはずいぶん事情が違った。撮影1日目の彼女との対話を抜粋してみる。

 

 代々木「恋人も作りたくないの?」

 女の子「作りたくないです」

 代々木「その理由を聞かしてよ」

 女の子「恋人を作っちゃうと他に遊べないというか」

 代々木「セックスって、もうプレイだ」

 女の子「軽いですね」

 代々木「そんな重要なもんじゃないと」

 女の子「はい、重いセックスがわかんないです」

 代々木「なにセックスぐらいでヤイヤイ言ってるの、みたいな感じか?」

 女の子「友達同士でセックスするので、ふつうに」

 代々木「そうするとあなたの場合は、本当に欲情してセックスをしてるってことはないと。『欲情自体が何なの?』ってことなの?」

 女の子「ちょっとわかんないですね」

 代々木「字面から来ることは想像できるよね?」

 女の子「はい、もちろん。頭では理解できるんですけど。それを自分が感じたことがあるかって訊かれると、いっぱいエッチはしてきたんですけど、どうだったろうと思って……欲情という言葉があてはまるのかなと」

 

 読んでもらってわかるように、彼女にはセックスにおけるタブーが見つからない。「タブーを解きほぐしておかないと」と前述したが、タブーがあるからこそ、僕は面白いと思っている。いけないことをしているという抵抗がある。だが、それが何かの拍子に外れたとき、いいセックスが撮れる。

 

 とはいえ、タブーがないのは彼女に限った話ではない。このところ「ザ・面接」のエキストラでも、平成生まれの若い子には同様の傾向が見て取れる。現場でセックスが始まれば、自分の席を立ち、どんどん前に行って間近でながめ、オナニーを始めたり、勝手に参加してしまう子までいる。積極的なのはいいけれど、そこには恥じらいや葛藤はない。

 

 セックスって股を開くわけだし、相手のものを受け入れるわけだし、生命を次代へつないでいく、ある意味「食べる」と同じくらい重要なことだと、昭和生まれの僕は思うのだが、彼女たちのセックスはあまりにも軽い。お仕事で来てる部分もあるだろうから、プライベートと同一ではないかもしれないけれど、それにしてもなぁと……。

 

 平成生まれの彼女に話を戻そう。セックスに抵抗がなく、そのうえ欲情しないというのでは、猥褻感がまったくない。でも、彼女を否定するわけにもいかない。そこで催淫CDを聴いてもらうことにした。僕は彼女を欲情させるつもりだった――。

 

 催淫CDを聴いて、彼女は喘ぎながらも涙を流した。聴き終えてから「何が起こったのか話して」と僕が訊く。彼女は泣きやまない。やっと「体がビリビリして、気持ちよかったです」と泣きながら答えた。「ずっと涙流してたじゃない? あれは何の涙なの?」彼女は答えない。「教えて」とうながしたが、依然泣きやまず、ずっとタオルを顔にあてている。まるで顔を見られるのも恥ずかしいとでも言うように……。

 

 彼女にとってセックスは、友達同士でもする、コミュニケーションのひとつじゃなかったのか?

 

 催眠によるトランス誘導が入っているCDには、聴いた者を欲情させる効果があるけれど、思考の縛りから自由になったとき、人は自らにも隠していた感情の深淵を覗いてしまうことがある。

 

 おそらく彼女は何かを覗いたのだろう。はっきりとは言わないものの、そのへんをうかがわせる撮影2日目の彼女の言葉をそのまま記すとこうなる。「なんか申し訳なくなってしまって、好きな人に。なんか今までちゃんとしたエッチしてなかったのかなって」。

 

 好きな人に申し訳ない? 恋人は作りたくないと言う彼女に、好きな人はいなかったはずだ。CDのトランス誘導の中で「あなたの好きな人が手を握っている」という暗示が出てくる。そのとき彼女は気づいたのではないだろうか、本当は自分が誰を好きだったのかを。

 

 彼女の相手として片山と森林を呼んでいた。ところが、彼女は好きな人への思いが強すぎるのか、心ここにあらずで、男優とセックスしたくないみたいなのだ。僕は半ば強引に男優をけしかけた。このままじゃ作品にならないという作り手側の都合もあるが、それだけではない。気づいた彼女が目合を体験できれば、さらなる気づきが起きるだろうと思っていた。

 

 結局、森林とすることになったが、後ろ髪を引かれたままの中途半端なカラミに終わる。片山は勃起したまま、自分の番を待っていた。しかし、彼女は「もう満足しちゃった」と言い、この現場はそこで終わったのである。

 

 これではさすがにボツかなと思った。やはりAVとしては成立しないだろう。にもかかわらず、彼女の“変化”に僕は救われた気がしていたのだった。