TOP女性に読んでほしいコラム > 欲情の原風景

女性に読んでほしいコラム


第43章 欲情の原風景

 前章では、男に義務のセックスをさせてしまう女性の話を書いた。今回はまずプロデューサー資料から、その女性の猥褻感の原点のようなものを箇条書きで引用してみる。

 

 〈小学校2年のとき、近くの神社で見つけたエロ本を見ていた。小学校4年のとき、家でお母さんのレディースコミックを大量に見つけ、こっそり見ていた。変な気分で自分のアソコを鏡に映して見ていた。その後、小学校6年まで、フィルムの入っていないカメラでアソコを撮ったりしていた〉

 

 彼女の“頭”から来る猥褻感は、なるほどこういうことから芽生え、育まれていったのかと思う。

 

 話は飛ぶが、かつてこの相談室の相談コーナーで会った女性が、応募の際に送ってくれた文章から一部分を抜粋してみる。

 

 〈私は幼稚園の時に、お昼寝の時間にちょっとエッチな男の子にディープキスをされました。そのときはディープキスなんて知らなかったですが、これがエッチなことなんだなってことはなんとなくわかりました。恥ずかしいけど、すごく気持ち良い。とろけそう。そんな感じがありました。あと、小学校2年生のときに幼馴染の男の子とお医者さんごっこをして、スカートの中をのぞかれたり、ちょっといじってもらったりしました。それも恥ずかしいけど楽しかったです〉

 

 ちなみにこの女性の悩みは、こういう幼少期のエッチな体験から、本当のセックスはさぞかし気持ちのいいものだろうと思っていたが、実際にしてみたらそうでもなかった。満たされたなと思うセックスはしたことがないし、イッたこともないというもの。

 

 だが、僕は彼女に会って話を聞き、「あなたは大丈夫だよ!」と太鼓判を押した。それについては後で書くが、この2人の女性の原点の違いについて、どう思われるだろうか?

 

 ビデオに出た女性は、幼い頃、エロ本やレディースコミックを見て欲情している。そして鏡にアソコを映したり、写真を撮る(まね)をしながら自分の中の猥褻感をかき立てている。

 

 一方、相談に来た女性は、実際に男の子からディープキスをされたり、スカートの中をのぞかれたり、いじられて欲情している。こちらは、生身の人間が相手だ。頭の中で作り出した妄想ではなく、行為自体が原点になっている。しかも、会って話を聞いていても、それらはイタズラされた忌まわしい過去ではなく、彼女にとってはいい思い出なのだ。

 

 オナニーとセックスの違いは、単に1人でするか2人でするかということではない。セックスの相手は電マやバイブの代わりではない。妄想で猥褻感をあおり、刺激で快感を得るのではオナニーと変わりない。生身の人間同士が性器のみならず、気持ちをも交わし合うのがセックスだ。

 

 相談に来た女性は、中学校に上がると男の子としゃべれなくなり、その裏には自分に対するコンプレックスもあったという。そういったネガティブな感情は今も多少引きずっているように見える。僕は彼女に自分を愛するための方法論を伝えた。

 

 自分がポジティブになることにより意識階梯が上がれば、同じ意識階梯の人との共鳴が起こる。つまり、自然とそういう相手にめぐり会うのだ。そうすれば、彼女の思い描いてきたセックスを体験することになる。

 

 だが、それができるのも、頭の中だけで欲情し妄想の虜(とりこ)になっていないからである。言い方を換えれば、人とつながる回路が閉ざされていないからこそ可能なのだ。

 

 現代はエロ本どころか、ネットを見れば妄想のネタはそこかしこに転がっている。小さな子どもがそれを見てしまうことも増えるだろう。欲情の原風景は“人”であってほしいと切に思う。